悔しいなあ。

ここ2年くらい、そこそこお世話になっているクライアントに新企画を持ち込んだのです。

ただ、結論からいうとちょっとイマイチな反応。
そうは言われなかったけど、「中途半端」な印象を持ったんだろうなと思いました。

悔しいと思いました。自分なりに考えて「いいな」と思った企画だったし、すぐに即決じゃないにしてももう少し検討してもらえるんじゃないかと思ってたから。
でも、感想というかレビューをいただいて、自分の企画力の中途半端さを思い知らされて。

悔しいなあと思いました。
アポの後に食べた刀削麺。あんま美味しくなかった。
同行してた子と帰りの電車の中でなんとなくの会話をしていても、一息つくと出てくる言葉は「悔しいな」の一言。

精進します。

京都を選んで良かったと思う。

京都に来ています。

京都。
きょっと。
キョート。

といっても京都、何度も来てるんだけど。

大学で四年間過ごし、その後も何度となく訪れています。
そのほとんどは仕事でだけど、プライベートでも何度か来ています。

こんだけ何回も来てるのに、毎回思うのは「やっぱいいなあ」ってこと。
もう僕が知ってる人はほとんどいないのに、いまだに帰って来た感がする。

誰もおかえりと言ってくれるわけじゃないんだけど。

今から、四条烏丸出てご飯食べいきます。
肉。

きょっと。

自分のことを言語化すること

今日、仕事で某女子大生を取材しました。

男子学生の取材はよくするのだけど、女子学生の取材は久々だったからちょっと勝手掴むのに時間かかってしまった。でも、「この子は何かある」と直感があったのですよ。
そしてその直感は、正しかった。面白かったです。

まあ、それはいいとして。

自分のことを言語化してちゃんと話すって、そんな誰でもできることじゃないと思う。僕だって出来ない。
そしてありのままに話すことも、大人だとなかなか難しいんじゃないかと思うのです。

僕も取材の類は何度か受けたことがあります。大半が僕の仕事内容についてだけど、中には僕自身のことについて、ということもありました。

ただねー、ダメなんですよね、どうしても、対外的な見え方を気にして喋ってしまう。一応、会社の肩書きで取材に答えるからですね。
もしも完全匿名で顔も出さないならもっとガッツンガッツンな発言ができるかもだけど、そうもいかんのです。

つまり、本当の意味での自分のことじゃない。
でも同時に、会社や仕事じゃない文脈の僕の話なんて聞きたい人いるのかな。

なんかそんなことを考えてしまったのでした。

感情と考えること

IBMのトーマス・J・ワトソンSrは、「think(考えろ)」と言いました。

ブルース・リーは「考えるな、感じろ」と言いました。

人生色々あるけれど、僕は人生において最も大切なことはこの二つだと思っています。
特に「感情」は本当に大切な宝物だと思っています。

何かに悲しいと思ったり嬉しいと思ったり幸せだと思ったりドキドキしたり、そうした感情を抱くことが出来る機会ってそうそうありません。

僕は好きな人と興味がない人が本当にはっきり分かれるので一層。愛想笑いとかできないし、つまんないものはつまんないし興味持てないものは本当にできないのです。

感じることのない人生なんてつまんないと思っちゃう。しんどくても、それを超えればきっと幸せになるし、その時まで耐えるしかない。

一方、考えることも大事で、考えるのを止めてしまうと自分にとって大切なことを見落としたり失ったりすると思っています。
ただただ、現実が目の前を過ぎ去っていくのを眺めるだけになってしまいます。

今日、何人かの学生のプレゼンを聞いていて、思考力の深さにこんなに差があるのかとちょっと驚きつつ絶望的な気持ちになりました。
申し訳ないけど、日頃、あらゆることに対して洞察し、考えるかどうかの違いが出てんじゃないかなと思ってしまいます。

もちろん、考え方のノウハウやトレーニングは必要だと思うし、僕はどっちかというと感性のタイプでロジカルに考えるのは苦手なので、もっと練習しないとなと思ってますが、それでも「think」というメッセージは大切にしています。

考えて、感じて、忘れて、また考えて、感じて。
あとどれくらい生きるのかわかんないけど、そのサイクルのまま生きることができたらいいなあと、そう思います。

生きづらさと付き合う

割と昔っからそうだけど、周囲と自分とのテンションとか考え方、嗜好性の差みたいなものに悩まされていて。
いや、悩まされてるってほどじゃもうないんだけど、昔は結構「どうして僕はみんなと同じものを好きになれないんだろう」とかって結構思ってた。もう諦めたけどね。

他の人がいいと言ってるものが僕はいいと思えなかったり、他の人が楽しそうにしていても僕は楽しくなかったり。

一対一で話していると普通に話せる人が、集団で会話する時になるとどうにもうまく話せなかったりする。

多分、距離感の取り方が下手なのだと思うしもっというと距離感に敏感すぎるんだろうなと思う。

勿論、こんな悩みはきっと誰もが大なり小なり持ってるんだと思うし、みんなある程度我慢して折り合いをつけてどうにかこうにかやっていくのが人生なんだろうと思う。

でも僕は、折り合いをつけようとあんま思わない。コミュニティに所属するのが苦手。だから一人でふらふらと行動するのが好き。そして、たまーに巡り会う、「この人、合うな」って思う人との仲を大切にしたいと思ってる。

でもたまーに思う。この歳になってもまだ思う。「どうして僕は、こうなんだろう」と。

雨上がりの街道を見下ろしながら、僕はのんびりとそんなことを思っている。

こだわれない

興味あるんだけどこだわれないものってあります。

そういうものは多分、本質的に向いてないんだと思うんです。だって僕は別にこだわれない人じゃなくて、どっちかというと無意味に凝ってしまうタイプだから。

でも、これない。追求できない。もどかしいなああと思うんだけど、ある一定のところから先に行けない。

今日、数年ぶりに会った人と話してて、僕がすっごく憧れることを追求してて素直に「うらやましいなあ」と思いました。

「やればいいじゃないですか」って言われてそれは本当にその通りなんだけど、なんかそっから先に進めないんですよ。
なんでなのかわかんないけど、中途半端になっちゃうんです。

こだわれるもの、追求できるものって貴重だと思う。
そんなに多くはないけれど、そういうのって僕にもある。

うーむ、何だかもどかしい。世界を広げたい。広げつつ、深めたい。
嫉妬、しちゃうぜ。

それでも僕は、パンが好き。

知人には、僕はラーメンが好きだと思われています。

もしくは、焼肉とかハンバーガーとか、そういうカロリーが高そうなものが好きだと思われています。

まあもちろん、ラーメンも焼肉もハンバーガーも好きです。好きですというか、かなり、相当、だいぶ好きです。

でも、一番好きなものは何か、と言われたらそれらじゃない。

僕が一番好きな食べ物は、パンです。

デニッシュ生地とかパイ生地とか、サクサクした生地のパンが大好きで。

生クリームやチョコレートクリームをかけてもいいし、いちごがそこにトッピングされていたら言う事はなく。
もしくはハムやチーズにレタスなんかを挟んでも美味しい。

もちろんプレーンのクロワッサンなんかも大好き。バターのしっとりとした味わいとデニッシュ生地のサクサクッとした食感が、たまらない。

お祭りの屋台で食べる焼きそばが、家で一人で食べる焼きそばよりはるかに美味しいように、食べ物というのはどんなシチュエーションで食べるかも大事。
そこへいくと僕がパンを食べるのに最高なシチュエーションは、よく晴れた日に芝生の上に寝っ転がって一人で食べる事。

缶コーヒーを片手に、パンをサクサクと食べる。日差しが暑い。芝生の草の、なんとも言えない香りは少年時代を思い出させる。

パン。僕はパンが好き。なんで2文字なんだろと思うけど、兎にも角にもパン。

パンが、僕は好きなのです。

筋肉は嘘をつかない

筋トレは嘘をつかない、という言葉を聞いた事がありますか。ないかもですね。まあ、筋トレをよくする人は聞いたことあると思うし実感値もあるんじゃないかと。

先日、昔のクライアントの同窓会に呼ばれて参加してきました。かれこれ7年くらい前にお取引があった企業の同窓会に、何故か僕が呼ばれる。まあ、嬉しいですね、はっきり言って。

で、久々にお会いした方からこんなこと言われました。べらんめえのお偉いさん。口は悪いけど、優しい人でお世話になったもんです。

「お前、相変わらず太ってんな」

「いやこれ、筋肉です」

その日はちょっと暑かったので僕は半袖ワイシャツを着ていたのですが、腕がピチピチだったのですね。で、それが太って見えた、と。

隣に座っていた同い年の女性にも聞いてみました。

「え、僕、太って見えますか」

「いや、そうは見えませんが、腕がピチピチで苦しそうです」

そうなのか、ひょっとしたら外から見たらこのシャツはみっともないのかもしれない、と思い始めました。

この1年半くらい、僕はちょいちょい筋トレをしていて、体つきは確実に変わっていました。特に大胸筋と腕は随分分厚くなって、確かにワイシャツとか以前着ていた服がきつくなっていたのです。

正直、きつくて入らないシャツも出てきました。いや僕、別にガチムチになりたいわけじゃないしちょっと筋トレ控えよう、と思ったのです。

で、ここ数週間で腕はだいぶ細くなりました。筋肉ってわかりやすいなあと思いました。筋トレすれば筋肉はつくし、サボればなくなっていく。こんなわかりやすいものはない。

でもね、なんかこう、筋肉が悲鳴をあげている気がするのですよ。

「負荷をくれ」

「痛みをくれ」

と。しばらくトレーニングしてないからね。

というわけで今日から再開しよっかなと思ってます。今度オーダースーツを作るので、無理目なサイズにならないくらいに。

気持ちの切り替え方

ちょっと最近お疲れ気味というか、精神的にあんまりよろしい感じじゃなかったんです。
こういうのって潮の満ち引きみたいなもんだと僕は思っていて、うまくいくときはうまくいくし調子が出ないときは出ない。

で、ここ最近はあんまり良くないんだな、と。

そうやって自分を納得させてじっと耐え忍ぶこともできるのだけど、それでもなんとかしたくなっちゃうんですよね。そりゃだってやだもんね、アグレッシブに生きたいじゃないですか。

さてどうするか。いわゆる気分転換にあたるんでしょうけど、普段あんま話さない人とじっくり話してみるって結構ありなんだなあと思いました。

昨日のことだけど、会社を出るときにあんまり普段話さない人と帰るタイミングが一緒になって、「お腹すいた」というのでなんか食べていきますか、と軽く誘ってみたら「行く」というので近くの居酒屋に行きました。



まあ1時間くらい、いっぱいくらい軽く飲んで帰ろうと思ったのだけど、意外と話は盛り上がってなんだかんだで終電ギリギリに。
2人で雨の中傘をさして小走りに駅まで行って「じゃ、また」と言って帰路につく。

なんか、良かった。普段会社で仕事の打ち合わせはしていても、プライベートなこととか内心でどんなこと思ってるのかとか、過去にどんなことがあったのかだとか、そういうのって2人になってある程度時間取らないと話さないもんです。

そして、その人を見る目も変わって、つまりこれまでの日常的視点から僕自身が変化して、世の中を見る目がまた少し変わって。

うん、まあつまり、良かったんですよ。正しい金曜日の夜の過ごし方だなって、思いました。

僕のオフィスは新宿にあるんだけど、雨の日の新宿といえば新海誠の言の葉の庭。
正しい、金曜日。

合格JKと平日会社を休むこと

某有名大学への推薦状を書いた女子高生から先日連絡があり、「受かりました!!ありがとうございます!!」とのこと。いやあよかったねえ。僕はただ単に思ってたことを書いただけだから、あなたの実力ですよ、と思ったところで、そういえば別の子も同じ大学受けてたなあと思いだす。その子はどうなったんだろうか。

受験も就活もそうだけど、誰かが受かって誰かが落ちる。当然ながら友人知人関係の間でもこれは起こる。つまり、私は受かって友達は落ちた、というやつだ。これは結構シビアな現実なんだけど、こういう時って落ちた方が無理して気を使わないと、その後なんとなく疎遠になって行っちゃったりする。そしてそれを見守っていた大人からすると、「切ないなあ」と思ったりする。



ところで昨夜から発熱し、今日は会社を休んでいる。1人でゴロンゴロンしながら会社からきてるメールを一応チェックする。みんな働いてんだなあ。

学生の時も思ってたけど、周りが日常時間を過ごしているのに自分が休んでると不思議な感覚にとらわれる。自分だけ流れに取り残されたような、それでいて焦りはなく、むしろどこまでも続く高原のような自由を手に入れたような気になる。

自分がいなくても社会は回っていく。当たり前だけど、そうなんだよね。ってことは、別に僕だって好き勝手やっていいんだよな、とも思う。だからきっと自由を感じる。

今日、何しよっかな。一応病人だから外出はしないけど、本読んだり映画見たりしよう。